2007年09月17日
第247回 大学「全入時代」 量の次は質
大学進学を希望する高校生の数と大学の定員数が一致するという「全入時代」となり、大学生の“量”は確保される事態となりました。
“量”が確保されると、その次に求められるのは“質”です。
“量”が確保されると、その次に求められるのは“質”です。
9月10日、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会は、卒業要件の厳格化を政府と大学に求める審議経過報告案をまとめました。
新聞各社の報道によれば、大学卒業までに学生が最低限身に着けなければならない能力を「学士力(仮称)」と定義し、今回の素案に示された「学士力」は、(1)「知識」、(2)「技能」、(3)「態度」およびの(4)「創造的思考力」の4分野13項目だそうです。
「知識」では①異文化の理解、②外国などの文化を理解、③社会情勢や自然、文化への理解、④人類の文化や社会情勢など。
「技能」では①コミュニケーション能力、②日本語、特定の外国語で読み、書き、聞き、話すことが出来能力、③情報活用力、④インターネットなどの多様な情報を適切に使い、活用できる能力、⑤論理的思考力、⑥情報や知識を分析・表現する能力。
「態度」では①チームワークとして、リーダーシップ、他者と協力行動、目標実現のために方向性を示せる態度、②倫理観として、自分の良心や社会のルールに従って、行動できる態度、③生涯学習力として、卒業後も自ら学習できる態度。
「創造的思考力」では知識、技能、態度を総合的に活用し、問題を解決することができることのようです。
「学士力」と同様の提言は、経団連から(1)志と心、(2)行動力および(3)知力の3分野の18項目が既に提言されており、今回は国としてどう考えているのかを示す内容になっています。
さて、大学で教育に携わる者として、どのような方法で学士力を測定するのかについて今後の答申内容が待たれます。というのも、何らかの測定基準や測定方法が示されなければ、各大学へ一律に求めても、各大学がそれぞれ勝手に解釈したのでは効果が上がりません。
また、上記のような基準を設けてしまうと、受験勉強のようなやり方が蔓延し、真理の探究という大学本来の教育目的が薄らぐ懸念もあります。
さらに、この学士力を有した学生が、社会で果たして期待通りの青果を発揮するかどうかも検証する必要も出てくるでしょう。
質的内容を数値化し、客観化することで、大学間の教育向上につながればよいのですが、手段が目的化されるないよう気をつけねばいけません。
新聞各社の報道によれば、大学卒業までに学生が最低限身に着けなければならない能力を「学士力(仮称)」と定義し、今回の素案に示された「学士力」は、(1)「知識」、(2)「技能」、(3)「態度」およびの(4)「創造的思考力」の4分野13項目だそうです。
「知識」では①異文化の理解、②外国などの文化を理解、③社会情勢や自然、文化への理解、④人類の文化や社会情勢など。
「技能」では①コミュニケーション能力、②日本語、特定の外国語で読み、書き、聞き、話すことが出来能力、③情報活用力、④インターネットなどの多様な情報を適切に使い、活用できる能力、⑤論理的思考力、⑥情報や知識を分析・表現する能力。
「態度」では①チームワークとして、リーダーシップ、他者と協力行動、目標実現のために方向性を示せる態度、②倫理観として、自分の良心や社会のルールに従って、行動できる態度、③生涯学習力として、卒業後も自ら学習できる態度。
「創造的思考力」では知識、技能、態度を総合的に活用し、問題を解決することができることのようです。
「学士力」と同様の提言は、経団連から(1)志と心、(2)行動力および(3)知力の3分野の18項目が既に提言されており、今回は国としてどう考えているのかを示す内容になっています。
さて、大学で教育に携わる者として、どのような方法で学士力を測定するのかについて今後の答申内容が待たれます。というのも、何らかの測定基準や測定方法が示されなければ、各大学へ一律に求めても、各大学がそれぞれ勝手に解釈したのでは効果が上がりません。
また、上記のような基準を設けてしまうと、受験勉強のようなやり方が蔓延し、真理の探究という大学本来の教育目的が薄らぐ懸念もあります。
さらに、この学士力を有した学生が、社会で果たして期待通りの青果を発揮するかどうかも検証する必要も出てくるでしょう。
質的内容を数値化し、客観化することで、大学間の教育向上につながればよいのですが、手段が目的化されるないよう気をつけねばいけません。
Posted by 宮平栄治 at 00:30│Comments(0)
│沖縄経済学