2007年10月08日
第252回 島マス塾VSゆがふう塾
10月7日(日)は午後1時から、沖縄市民会館の中ホールへでかけ、島マス塾とゆがふう塾のディベートを参観してきました。
ディベートのテーマは・・・
ディベートのテーマは・・・
「沖縄にはカジノは是か非か」
というホットなテーマでした。
ディベートとは、共通テーマを肯定論者と否定論者に分かれ、自分の論について論理面やデータ面から主張し、また相手の論の内容の課題を指摘し、どちらの主張がより説得力があるかどうかをジャッジによる採点で決める「知的ゲーム」です。
ディベートの良さは、肯定論と否定論の両方を勉強することによって、物事を客観的かつ論理的に考えることができることです。
また、ルールや運営方法は様々で、今回は島マス塾方式、つまり、1ヶ月前に“くじ引き”でゆがふう塾が「カジノ肯定側」、島マス塾が「カジノ否定側」の立場から昨日のディベートと相成りました。
私が学生の頃は、当日に肯定側と否定側を決めたり、また、ディベートの途中で、肯定側と否定側を入れ替えたりするルールもありました。
5人のジャッジによる評決は、4対1で“島マス塾”の圧勝。
ディベートですので、ゆがふう塾の“真”の立場がカジノの肯定派でも、また、島マス塾の“本音”が否定派というわけではありません。
肯定と否定に分かれたのはあくまでも“くじ”によって決まったのです。誤解無きようお願い致します。
さて、何故、私が今回のディベートを観戦したのかと言えば、ゆがふう塾を運営している中部広域市町村事務組合のN氏から依頼があり、9月11日(火)に勉強会を北谷町役場で講師としてカジノ導入の経済的効果を教えたからです。
お断りしますが、私はカジノ導入の肯定派でも否定派でもありません。あくまでも、もし、仮にカジノを導入した場合、どのような功罪があるかをゆがふう塾にメンバーと勉強しただけです。
ですから、今回の評決は、私の理論構築の至らなさにあるわけです・・・。
さて、ある事案の勉強会や研究会に参加すると、マスコミを通じて名前がでますが、中には記事の内容を良く読まずに見出しだけで判断する人も多いようです。
上述のように、ディベートに関しても、わざわざ、ゆがふう塾や島マス塾がカジノ導入について肯定でも否定でもないということをわざわざ書いたのは誤解する人がいるためです。
私自身の経験では、たとえば、沖縄市の東部海浜開発検討委員会の最終答申を沖縄市長に提出した翌日、研究室のドアには「埋め立て反対!」と書かれた紙が貼り付けられていました。
東部海浜開発検討委員会は、泡瀬干潟の埋め立て事業の是非をとう委員会ではなく、市民目線で、分かりやすく、公平・公正な立場から情報を収集し、現状を報告する委員会なのですが、賛成派も反対派も、熱い思いがあるためか、賛成側からは反対派に、反対派からは賛成派に決めつけられてしまい困ってしまいました。
そういう点からすると、ディベートもは、これからの市民社会には重要な教育ツールなのかもしれません。
というホットなテーマでした。
ディベートとは、共通テーマを肯定論者と否定論者に分かれ、自分の論について論理面やデータ面から主張し、また相手の論の内容の課題を指摘し、どちらの主張がより説得力があるかどうかをジャッジによる採点で決める「知的ゲーム」です。
ディベートの良さは、肯定論と否定論の両方を勉強することによって、物事を客観的かつ論理的に考えることができることです。
また、ルールや運営方法は様々で、今回は島マス塾方式、つまり、1ヶ月前に“くじ引き”でゆがふう塾が「カジノ肯定側」、島マス塾が「カジノ否定側」の立場から昨日のディベートと相成りました。
私が学生の頃は、当日に肯定側と否定側を決めたり、また、ディベートの途中で、肯定側と否定側を入れ替えたりするルールもありました。
5人のジャッジによる評決は、4対1で“島マス塾”の圧勝。
ディベートですので、ゆがふう塾の“真”の立場がカジノの肯定派でも、また、島マス塾の“本音”が否定派というわけではありません。
肯定と否定に分かれたのはあくまでも“くじ”によって決まったのです。誤解無きようお願い致します。
さて、何故、私が今回のディベートを観戦したのかと言えば、ゆがふう塾を運営している中部広域市町村事務組合のN氏から依頼があり、9月11日(火)に勉強会を北谷町役場で講師としてカジノ導入の経済的効果を教えたからです。
お断りしますが、私はカジノ導入の肯定派でも否定派でもありません。あくまでも、もし、仮にカジノを導入した場合、どのような功罪があるかをゆがふう塾にメンバーと勉強しただけです。
ですから、今回の評決は、私の理論構築の至らなさにあるわけです・・・。
さて、ある事案の勉強会や研究会に参加すると、マスコミを通じて名前がでますが、中には記事の内容を良く読まずに見出しだけで判断する人も多いようです。
上述のように、ディベートに関しても、わざわざ、ゆがふう塾や島マス塾がカジノ導入について肯定でも否定でもないということをわざわざ書いたのは誤解する人がいるためです。
私自身の経験では、たとえば、沖縄市の東部海浜開発検討委員会の最終答申を沖縄市長に提出した翌日、研究室のドアには「埋め立て反対!」と書かれた紙が貼り付けられていました。
東部海浜開発検討委員会は、泡瀬干潟の埋め立て事業の是非をとう委員会ではなく、市民目線で、分かりやすく、公平・公正な立場から情報を収集し、現状を報告する委員会なのですが、賛成派も反対派も、熱い思いがあるためか、賛成側からは反対派に、反対派からは賛成派に決めつけられてしまい困ってしまいました。
そういう点からすると、ディベートもは、これからの市民社会には重要な教育ツールなのかもしれません。
Posted by 宮平栄治 at 15:55│Comments(3)
│沖縄経済学
この記事へのコメント
宮平先生、先日はありがうございました。
「沖縄にはカジノは是か非か」のディベートのお話。
今後、米軍基地の跡地利用を考えると、
観光リゾート地の沖縄にカジノ導入の案は、
甲乙つけがたい問題になるのかもしれませんね。
とても興味深いお話でした。
これからも先生のコラムを楽しみにしてますね。
「沖縄にはカジノは是か非か」のディベートのお話。
今後、米軍基地の跡地利用を考えると、
観光リゾート地の沖縄にカジノ導入の案は、
甲乙つけがたい問題になるのかもしれませんね。
とても興味深いお話でした。
これからも先生のコラムを楽しみにしてますね。
Posted by REI at 2007年10月11日 10:55
望月@島マス13期です。先日は、ディベートの学習会と、ジャッジ、お疲れ様でした。尋問が弱くて、意見が一方通行だった点は、反省しています。想定問答を完璧に用意しても、上手く出来ませんでした。舞台の上の緊張感も、そうとうなものでした。
私のブログでもレポートしましたので、お知らせします。ディベートは、純粋に説得力で勝負します。、議論よりも力関係、根回しで決まる世界に生きる私たち。今回は、「フィクション」とは言いながら、楽しむことが出来ました。
(追伸)
神の前に、神と共に、そして神無くして生きる。
二次会では、ずいぶん難しいお話をしました。上記の言葉は、第二次大戦中にヒットラー暗殺計画に加わり、処刑されたディートリヒ・ボンヘッファーの獄中の言葉です。処刑は、ヒットラー自殺の3週間前でした。
自らの信仰を否定し、信仰に生きる。凄い生き様です・・・。
参照:ウィキペディアの「ディートリッヒ・ボンヘッファー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
私のブログでもレポートしましたので、お知らせします。ディベートは、純粋に説得力で勝負します。、議論よりも力関係、根回しで決まる世界に生きる私たち。今回は、「フィクション」とは言いながら、楽しむことが出来ました。
(追伸)
神の前に、神と共に、そして神無くして生きる。
二次会では、ずいぶん難しいお話をしました。上記の言葉は、第二次大戦中にヒットラー暗殺計画に加わり、処刑されたディートリヒ・ボンヘッファーの獄中の言葉です。処刑は、ヒットラー自殺の3週間前でした。
自らの信仰を否定し、信仰に生きる。凄い生き様です・・・。
参照:ウィキペディアの「ディートリッヒ・ボンヘッファー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
Posted by satoshi@宜野湾 at 2007年10月17日 13:36
ディベートでの勉強会、そして、当時のディベートでは肯定、反対と自分の意と反した立場でありながら参加した人も自分の思いの立場で主張した方々もお疲れ様でした。
私が学生の事と比較するとディベートの質は高まっています。→参加者が社会人出るあることを割り引いてもです。
私達の社会は、言うまでもなく、主義、主張、利害、そして宗教・宗派が異なる人たちで成り立っています。
違いがあるから面白いのですが、それが時としては武力によって違いを制しようとする悲劇となります。
それを避けるためには、相互の主張を展開し、納得させるという話し合いが必要になるわけです。
しかも、説得させる場合は、論理的、客観データ、+演出が必要になりますので、その意味でも今回のディベートは、私も勉強になりました。
今後ともよろしくお願い致します。
私が学生の事と比較するとディベートの質は高まっています。→参加者が社会人出るあることを割り引いてもです。
私達の社会は、言うまでもなく、主義、主張、利害、そして宗教・宗派が異なる人たちで成り立っています。
違いがあるから面白いのですが、それが時としては武力によって違いを制しようとする悲劇となります。
それを避けるためには、相互の主張を展開し、納得させるという話し合いが必要になるわけです。
しかも、説得させる場合は、論理的、客観データ、+演出が必要になりますので、その意味でも今回のディベートは、私も勉強になりました。
今後ともよろしくお願い致します。
Posted by 宮平栄治 at 2007年11月03日 17:12