2008年02月16日

第291回 初期イメージは偉大だ

 2月13日(水)の『沖縄タイムス』紙の6面と『琉球新報』紙の8面に、ボンカレーが発売40周年で、初代パッケージのボンカレーを全国発売するという記事がありました。

 当時はやりの萬屋錦之助さん主演(幕府の公儀介錯人・拝一刀という役柄)の“子連れ狼”を模し、笑福亭仁鶴さんが萬屋さんに扮し“3分間待つのだゾ”とか“ちゃん、ボンカレーあらへん”というCMが懐かしく思い出されますネ。

 それはそうと見出しと記事の内容を良く読むと・・・

 “「松山容子さん」がにっこり笑っている初代パッケージ”が“沖縄地区限定”で現在も販売されているということです。

 では、全国でのボンカレーのパッケージはというと、全国は○が重なったデザインなのです。

 なぜ沖縄だけ「松山容子さんパッケージ」なのか」という“”マークが当然頭の中で一杯になりますネ。

 初代パッケージを変更するとき、沖縄でも“全国版”へ改めたそうです。

 ところが、“ボンカレーは置いていないの”という問い合わせがあり、○印の製品を示すと、“これはボンカレーではない”と購入を拒否する客が続出。

 初期の製品イメージ、ブランド名やパッケージの印象が強いと、ブランド名やパッケージを変更してもなかなか製品認識してもらえず、売れない例です。

 同じような事例が泡盛業界でもありました。

 時代は日本が第二次世界大戦に負けた直後の頃からサンフランシスコ平和条約が締結された時期ですが、当時、沖縄は先に米軍占領され、日本本土に比べて物資が豊かでした。

 そこで、タイ米以外の原料、たとえばチョコレートやキャンディーなどのデンプンや糖類を含むものを原料にして泡盛を製造し、本土へ輸出していたそうです。

 その時は、マーケティングは確立されていませんし、さらに戦後の人心が荒れた時期で、とにかく「酔いたい」ということで度数の高い泡盛でした。

また、醸造技術は現在のような技術水準ではありませんから、匂いはきついし、不純物は混ざっているため二日酔いはひどいという状況だったのですが、それでも酒という“贅沢品”でしたので結構売れたとか。

 その後、施政権が米軍となり泡盛の本土輸出が途絶し、泡盛の印象は、“強い”“臭い”“二日酔いがひどい”の印象が定着したままだったため、1972年に施政権が日本政府に返還され、対本土再輸出し、技術が向上し、品質が改善されてもなかなか売れない時期が続きました。

 『人は見た目が9割』という本が売れましたが、製品やサービスでは、まさに初期印象がその後の売上げの正否を決定し、また、改めるには莫大な費用、時間、労力を要するということが言えるでしょう。

 もし、マーケットの商品やサービスの初期イメージがコントロールでき、好印象を与え続けることが出来たなら競争上は有利な地位にいることが出来ますが、いわゆるブランド商品の製品イメージの努力例を参考にするとなかなか難しいようです。


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Posted by 宮平栄治 at 09:31│Comments(0)沖縄経済学
 
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