2005年08月19日

第53回「新渡戸稲造は武士道といったけれども」

―日本の近代化を支えた程順則・名護親方―
今回は、8月13日(土)から3泊4日で中国・福州の琉球人墓などの訪問に旅立った島田勝也さんのブログとのコラボレーションです。私は沖縄経済学会の総会と重なっていたため、参加できませんでした(;;)。

さて、私が大学生の頃、現・琉球大学副学長の嘉数啓先生の外国書購読を受講しました。その時の本が、W・W・ロックウッド箸「日本経済近代化の百年-国家と企業を中心に-」の英語版と記憶しています(ちなみに、成績は、多分、"優"だったと記憶しています…)。

著書の内容は、日本の明治以降の近代化は、明治政府の施政もさることながら、近代化の基礎は既に江戸時代に培われていたというを、法律、貨幣、度量衡、市場、為替、教育などの数値をあげて説明がなされていました。中学校や高等学校の教科書では、江戸時代は、近代とは無縁の世界と教え込まれていた私には、非常に新鮮な内容でした。

さて、近代化とは、原材料の加工・変形という生産から消費者の手に商品やサービスが提供される価値創造システムを支える社会構造をいいます。具体的には、流通、度量衡、通貨、為替、市場、法律や職業観をも含めた制度が完備されていること、また、これらの制度を伝える文字の存在、個々の事業所が役割によって階層化されていること、ルーティンワークのマニュアル可、さらには、識字率の高さなどが挙げられます。

日本の近代化というと、新渡戸稲造が著書の「武士道」において、武士道が日本の近代化を支えたと主張されています。最近でも、奥田硯氏と山下泰裕氏による「武士道ともに生きる―グローバル社会の今こそ、武士道に学ぼう―」(角川書店)が出版されています。

前段が長くなってしまって申しわけございませんが、この主張に対して、今回は異なる角度から考えてみましょう。

田村貞雄氏(アル・アザール・インドネシア大学客員教授・静岡大学名誉教授)は、新渡戸稲造の主張に対して批判的に述べています。

田村氏によれば、明治維新直後の1878年の人口統計では、約3,500万人。その内、平民が約95%、武士が約5%でした。江戸時代には、戦がありませんから、武士は官僚となり、行政機構に配置されていました。

例えば、池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵宣以は、戦時においては先手組頭(足軽大将格)ですが、平時のおいては仕事がないため火附盗賊改という役職を拝命し江戸の治安を守っていました。今で言うならばFBIか、機動捜査隊でしょうか。

田村氏によれば、95%といた一般庶民の教育は、石田梅岩の心学や、本居宣長の国学、二宮尊徳の報徳思想、懐徳堂の山片蟠桃の実学思想などで、正直・勤倹・貯蓄を庶民に勧めていました。以上は、田村貞雄「明治維新と武士道」(田村貞雄のページ)、山口県近代史研究・地域文化情報論「飛耳長目」(田村貞雄のページ)をご参照下さい。

もし、新渡戸稲造が主張しているように、"武士道"が近代日本を支えていたならば、人口規模の大きさから、わずか5%で工業化が可能かという視点から考えたならば疑問です。また、「武士の商法」で述べたように正直・勤倹・貯蓄・競争という近代化に必要なモラールの面からも相容れない事柄が多いと考えられます。

では、近代化に重要な読み・書き・算盤という教育は、どこで行われていたかと言えば、皆さんご承知の通り、"寺子屋"です。江戸では子供に教育をする場所を八百屋や魚屋というように屋号を付けるのはおかしいということで、手習指南所(しゅせきしなんじょ)、あるいは手跡指南と称したそうですが、分かり易いので"寺子屋"と統一します。

さて、ここからいよいよ本題です。この寺子屋や各藩校で子弟教育の教本となったのが、名護親方・程順則が中国より持ち帰った「六諭衍義」(りくゆえんぎ)です。

「六諭衍義」とは、中国の明代・洪武21年(1388年)に宣布された「教民榜文四十一ヶ條」の自治章程の一條、孝順父母、尊敬長上、和睦郷里、教訓子孫、各安生理、毋作非為の六諭(りくゆ)で、六諭の各項に意味を分かりやすく解説した本が「六諭衍義」(りくゆえんぎ)です。

程順則と「六諭衍義」との出会いは、1683年に、程順側が21歳で中国へ留学した際、師の竺天植の机上で最初に出会い、25年後の1708年に私財を投じて「六諭衍義」を復刻製版し沖縄に帰国しました。

「六諭衍義」が、日本全国に普及するには、また、そうそうたる人物が登場します。程順側臥、1714年に江戸慶賀使として江戸に行く際、薩摩の島津吉貴公に献上され、その5年後、島津吉貴公より第8代将軍徳川吉宗に献上されます(詳細は、名護市教育委員会・六諭衍義編集会議編「六諭のこころ―市民のための六諭衍義―」2003年10月をご参照下さい)。

「六諭衍義」を目にした、徳川吉宗はその意味を室鳩巣に和解を命じ、その内容が吉宗の統治思想と合致していたため、大岡越前守忠相に命じて教科書として配布されました(詳細は、東京学芸大学人文学科歴史学研究室教授・大石 学「江戸の文化と教育」をご参照下さい)。

「六諭衍義」は、各藩や各地域の実情や時代に即した事例の補筆、挿絵の挿入などで明治44年の「石橋本六諭衍義大意」までのバージョンアップされたそうですから、単に、為政者の意向ばかりではなかったと考えられます。

今回は、少々長くなりましたが、次回は、孝順父母、尊敬長上、和睦郷里、教訓子孫、各安生理、毋作非為という六諭がなぜ近代化に重要な意味を持つのかを解説致します。


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Posted by 宮平栄治 at 09:00│Comments(5)沖縄経済学
この記事へのコメント
興味深く読ませていただきました。いつかご意見を伺わせていただきたいと願っていますが、家族問題に関わるなかで、家庭が家庭として機能できないことからくる、経済に与えている損害や、基本的秩序が失われることで引き起こされる社会の不安定さ、あるいは人材が育ちにくい状況など、限られた財源が結果として将来を展望するような積極的な使われ方ではなく、非生産的な用いられ方をしていることが多いのではないかと危惧しています。できましたら経済学者としての観点から沖縄の家族と経済との関係について、現状と今後の将来像などについてお考えがあれば教えていただけると感謝です。今回のブログの続きを楽しみにしています。(ふーみんぐの番頭)
Posted by 泉川良道 at 2005年08月22日 23:17
泉川良道様

 コメントを頂きありがとうございました。

 家族と経済についての関連性について、積極的に意見を述べている経済学者としては東京大学の神野直彦さん(財政学が御専門)がいらっしゃいます。

 簡単に言えば、経済で生産されますが無償で提供しているのが家族経済という事です。また、家族では教育、社会規範なども提供されますので、社会の中における家庭機能が崩壊しますと、長期的には社会機能の麻痺ということになります。

 このあたりについてはブログでも解説したいと考えていますが、神野さんの書籍で手頃な本として、ご参考までに次の2冊をご紹介致しますので、ご活用下さい。

 神野直彦著『人間復興の経済学』(岩波新書 赤版 782 2002年5月)
 神野直彦著『地域再生の経済学』(中公新書 1657 2002年9月)
Posted by 宮平栄治 at 2005年08月23日 10:52
お忙しい中早速のご返事をありがとうございます。ご紹介を受けた書籍を買い求め、読んでみたいと思います。余談ですが私の家内も先生のブログを楽しみにしています。このブログを見つけるのが遅かったので、最初から順序良く後追いで読んでいるところです。これからも楽しみに時々おじゃまいたします。
Posted by 泉川良道 at 2005年08月23日 22:41
宮平先生、お久しぶりです。先生のブログ度々読ませて頂いてます。僕には難しくてなかなかコメントが出来ませんが。。(笑)こういうとこでお会い出来ると嬉しいですね。先生もいつもながらにパワー全開で頑張られているみたいですね。僕も先生に負けないように頑張ります☆二十代は勉強の時期なので額と心と脳に汗していきたいと思います。また機会が有れば、楽しい話聞かせて下さいね♪体調に気をつけて頑張って下さい。

沖縄から愛を込めて
Posted by 倉岡大樹@ディスカバーウェディング at 2005年08月25日 19:21
宮平 栄治様

前略
はじめてメールを差し上げます。
拙文を御紹介頂き、恐縮に存じます。
過日、プロバイダーを変更しましたので、お知らせ申上げます。

明治維新と武士道
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/bushido.htm

URL:http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/frame.html
今後ともよろしく願いします。

田村貞雄

本文は掲示しないで下さい。
Posted by 田村貞雄 at 2007年02月27日 05:41
 
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