2005年11月24日
第88回 「台湾とアメリカの産学連携」
前回のコラムでは、『日経ビジネス』誌の2005年11月14日号特集、「変だぞニッポン-虚妄の大学発ベンチャー:民営化時代のタックスイーター-」を下に、日本の産学連携から大学初ベンチャーについて取り上げましたが、今回は、諸外国における産学連携はどうかというと、私が訪れた台湾の科学工業園区とアメリカの場合を比較検討しながら、日本の産学連携の課題を探ります。
台湾の新竹科学工業園区の産学連携では、企業が問題を発見し、大学が問題を解決するなど、ロバート・ライシュ氏の言葉を借りれば、戦略的問題発見者と戦略的問題解決社という役割分担を行い、Win-Winの関係にありました。
また、アメリカの場合、産学連携の背景には、研究費捻出があります。研究費は大学が賄わなければならず、それを得るため、学内研究者の研究成果をデータベース化、大学内に企業と大学との仲介役を担う機関を設置、同時に、企業や政府から研究費を得るためにどのような書類を作成し、また、どのようにプレゼンテーションを行えば効果的かを教授する部署を設けていました。
つまり、日本の大学発ベンチャーのように政府から補助金だけを当てにするのではなく、利益を出すという目的の下で民間企業からの資金や設備を利用し、研究成果を還元するシステムです。そのためには、企業と大学をつなぐリエゾン機関や戦略的仲介者やプロデューサーの存在も必要です。
また、このシステムは、理工系や医療系ばかりでなく、社会科学の分野においても活用していました。たとえばノース・フロリダ大学では、「ハリケーン襲来時に、街の構造や地形で風力が異なるはずだから、保険を一律にするのを見直した方がよい」という社会科学の教授の提案で、実際の風力を測定し、この事実を保険会社へ提案し、保険料支払いとハリケーン襲来による建物被害への補償支払いの双方の軽減に役立ったという例を指摘していました。
いつもの事ながら、単純な比較は慎まなければいけませんが、日本とアメリカの決定的な違いは、日本の産学連携が企業と個別の教員であるのに対して、アメリカでは企業と大学の関係です。その違いが、社会科学を含めた幅の広い領域に渡った産学連携につながっているといえます。
アメリカの大学における産学連携組織からわが国の現状を考えると、理学、工学、農学、医療、薬学など可視的成果の分野へ注目が集まりがちです。企業や大学とも法律、制度、各種社会調査分析やルーティン化などの分野における産学連携への認識が希薄であると言わざるを得ません。
この原因には、大学における社会科学分野が現実離れした研究や教育をおこなっている、大学で実社会をとらえた研究や教育が行われていたとしても企業側では、多くの組織人が大学で学んだ頃の先入観で大学を考えている、あるいは、マッチングの場やプロモーター機能などが存在していない、あるいは機能していないと私は考えています。
また、アメリカの場合、産学連携の背景には、研究費捻出があります。研究費は大学が賄わなければならず、それを得るため、学内研究者の研究成果をデータベース化、大学内に企業と大学との仲介役を担う機関を設置、同時に、企業や政府から研究費を得るためにどのような書類を作成し、また、どのようにプレゼンテーションを行えば効果的かを教授する部署を設けていました。
つまり、日本の大学発ベンチャーのように政府から補助金だけを当てにするのではなく、利益を出すという目的の下で民間企業からの資金や設備を利用し、研究成果を還元するシステムです。そのためには、企業と大学をつなぐリエゾン機関や戦略的仲介者やプロデューサーの存在も必要です。
また、このシステムは、理工系や医療系ばかりでなく、社会科学の分野においても活用していました。たとえばノース・フロリダ大学では、「ハリケーン襲来時に、街の構造や地形で風力が異なるはずだから、保険を一律にするのを見直した方がよい」という社会科学の教授の提案で、実際の風力を測定し、この事実を保険会社へ提案し、保険料支払いとハリケーン襲来による建物被害への補償支払いの双方の軽減に役立ったという例を指摘していました。
いつもの事ながら、単純な比較は慎まなければいけませんが、日本とアメリカの決定的な違いは、日本の産学連携が企業と個別の教員であるのに対して、アメリカでは企業と大学の関係です。その違いが、社会科学を含めた幅の広い領域に渡った産学連携につながっているといえます。
アメリカの大学における産学連携組織からわが国の現状を考えると、理学、工学、農学、医療、薬学など可視的成果の分野へ注目が集まりがちです。企業や大学とも法律、制度、各種社会調査分析やルーティン化などの分野における産学連携への認識が希薄であると言わざるを得ません。
この原因には、大学における社会科学分野が現実離れした研究や教育をおこなっている、大学で実社会をとらえた研究や教育が行われていたとしても企業側では、多くの組織人が大学で学んだ頃の先入観で大学を考えている、あるいは、マッチングの場やプロモーター機能などが存在していない、あるいは機能していないと私は考えています。
Posted by 宮平栄治 at 15:06│Comments(0)
│沖縄経済学