2006年05月05日
第131回 「将来を見据えたまちづくり」
少々古く成ってしまいましたが、3月23日(木)に国土交通省が全国の公示価格を発表しました。それによると、全国平均は下落しているものの大都市圏の地価は値下がり傾向に歯止めがかかり、三大都市圏や札幌などの中枢都市では、横ばいや上昇傾向にあります。
翌24日(金)の『日本経済新聞』は、社説において今回の公示価格の概要を、さらに、25日(土)から26日(日)、そして28日(火)と「新局面の土地市場」と題して、詳細を述べています。その内容は・・・
翌24日(金)の『日本経済新聞』は、社説において今回の公示価格の概要を、さらに、25日(土)から26日(日)、そして28日(火)と「新局面の土地市場」と題して、詳細を述べています。その内容は・・・
都心部における新しい買い手の出現、相変わらず下落が続く地方において地価が上昇した地域の特徴、および、土地の収益力ではなく、値上がりを期待した土地取得への警鐘を鳴らしています。
さて、社説や25日(土)の26日(日)「新局面の土地市場」によると、地方で地価が上昇した地域は、札幌市や北海道伊達市、三重県伊勢市の「おはらい町通り」だそうです。
札幌市の場合は、団塊世代や団塊世代の子供達である団塊ジュニア世代の夫婦の移住者が、北海道の伊達市の場合は、前述の移住者に加え、道内では温暖な気候と落ち着いた街並みが人気の秘訣。
三重県伊勢市の「おはらい町通り」は、伊勢神社の参道に面した街並みを江戸時代風に再現し、行政と住民が協力し、石畳の整備や江戸時代には無かった電柱の除去と地中化という街並みが評価され、観光客が増加したことが地価の上昇につながったと伝えています。
これらの地域を、『日本経済新聞』の26日(日)「新局面の土地市場」では、『定住人口や流入人口が増え、「人が集まる街」』と指摘しています。
本コラムでも第34回の「“まち”の魅力を測定する」や第111回の「団塊世代後をにらむ」において、将来の人口減における地価の維持について触れてきましたが、既に、“人が集まる”魅力を備えようと努力した地域には、人が集まっているようです。
どこかの地域のように、米軍基地と地域の発展には因果関係がないのに、あるかのように錯覚し、補償金と一時金を得て、魅了する地域資源を手放そうとしています。
カネは、消費してしまえば雲散霧消してしまいます。
しかし、地域の持つ資源は、オンリーワンが数多くあり、大事に使えば三重県伊勢市の「おはらい町通り」のように江戸時代から400年たった今でも立派に再生されます。
立ち位置を変え、将来を見据えたまちづくりが必要なことを今回の公示価格は暗示しているようです
さて、社説や25日(土)の26日(日)「新局面の土地市場」によると、地方で地価が上昇した地域は、札幌市や北海道伊達市、三重県伊勢市の「おはらい町通り」だそうです。
札幌市の場合は、団塊世代や団塊世代の子供達である団塊ジュニア世代の夫婦の移住者が、北海道の伊達市の場合は、前述の移住者に加え、道内では温暖な気候と落ち着いた街並みが人気の秘訣。
三重県伊勢市の「おはらい町通り」は、伊勢神社の参道に面した街並みを江戸時代風に再現し、行政と住民が協力し、石畳の整備や江戸時代には無かった電柱の除去と地中化という街並みが評価され、観光客が増加したことが地価の上昇につながったと伝えています。
これらの地域を、『日本経済新聞』の26日(日)「新局面の土地市場」では、『定住人口や流入人口が増え、「人が集まる街」』と指摘しています。
本コラムでも第34回の「“まち”の魅力を測定する」や第111回の「団塊世代後をにらむ」において、将来の人口減における地価の維持について触れてきましたが、既に、“人が集まる”魅力を備えようと努力した地域には、人が集まっているようです。
どこかの地域のように、米軍基地と地域の発展には因果関係がないのに、あるかのように錯覚し、補償金と一時金を得て、魅了する地域資源を手放そうとしています。
カネは、消費してしまえば雲散霧消してしまいます。
しかし、地域の持つ資源は、オンリーワンが数多くあり、大事に使えば三重県伊勢市の「おはらい町通り」のように江戸時代から400年たった今でも立派に再生されます。
立ち位置を変え、将来を見据えたまちづくりが必要なことを今回の公示価格は暗示しているようです
Posted by 宮平栄治 at 09:18│Comments(4)
│沖縄経済学
この記事へのコメント
経済学を取ってた徳里です。宮平先生がブログを開いていると聞きつけてお邪魔しました。
このコラム面白かったです。思い出しましたが,昔 石川市のタクシーのおじいちゃんが『石川のビーチは凄く綺麗で,ずーっと白浜が広がっていたんだ。昔は米軍専用のビーチだったんだよねぇ。』と話してくれた事がありました。もし,市役所や運動場を作るために埋め立てしなければ,東海岸で1番の観光資源になってたかもしれません。いまや市町村合併で殆ど使わない市役所を見ると切なくなります。先人達の行いを非難できませんが,綺麗な海が残っている所は手をつけないで欲しいなと思います。
このコラム面白かったです。思い出しましたが,昔 石川市のタクシーのおじいちゃんが『石川のビーチは凄く綺麗で,ずーっと白浜が広がっていたんだ。昔は米軍専用のビーチだったんだよねぇ。』と話してくれた事がありました。もし,市役所や運動場を作るために埋め立てしなければ,東海岸で1番の観光資源になってたかもしれません。いまや市町村合併で殆ど使わない市役所を見ると切なくなります。先人達の行いを非難できませんが,綺麗な海が残っている所は手をつけないで欲しいなと思います。
Posted by 徳里です。 at 2006年05月07日 23:15
はじめまして。琉大の学生で新田と申します。私は南風原町の住民会議に参加しております。そこに関わっていく中で街づくりってナンだろうと考えたときに結局は人だと思うんです。その街に住んでいる人、愛着を持っている人その人たちが中心となってつくっていくことだとおもいます。主役は住民なんで す。役所・役場ではありません。だから、街づくりは住民が中心となって作っていくのが一番だと感じております。先日、沖縄市であった三鷹市のフォーラムでも、那覇での東海市のシンポジウムでも住民が主体となった街づくりが紹介されてました。全国では先進的な事例が出てきているのに沖縄では。。。まだまだですね。やはり、北川さんが言ってる立ち位置を変えて物を見る、多角的・多面的に物を見る、そういう資質を持ってコーディネートできる人材が求められているのではないでしょうか。
Posted by 新田 at 2006年05月15日 07:08
徳里さん
コメントありがとうございます。
「綺麗な海が残っている所は手をつけないで欲しい」ということなので、第133回では「ミティゲーション」という用語をご紹介しました。
自然環境の再生がいかに難しいかということと、すでにこの概念は1970年代からあるとことに注目して下さい。
新田さん
貴重な御提言をありがとうございます。
2006年1月28日付けのコラム、第108回の「一村一品運動の本家本元」に書きましたが、”まちづくり”の概念は沖縄発なのです。
また、沖縄でも、”まちづくり”は結構あって、例えば、読谷村の紅芋、名護市の勝山や、東村の慶佐次などがあります。
「街づくりは住民が中心となって作っていくのが一番」というのは間違いありませんし、住民が中心となることが、責任ある関係者が、生き生きとして活動できる基盤でもあります。
今週土曜日の「ジャスコdeフォーラム」でもお話しますが、地域の抱えている課題や資源は異なりますので、いわゆる成功事例を真似ても上手く行きませんし、そもそも”成功事例”という定義が曖昧なのです。
住んで、暮らして、遊んで、学んで、育んで、終の棲家として”まち”を関わる人たちが、関心、意思決定への参画、責任にある行動、検証と微調整が必要ですし、関わる人たちには、行政も必要です。
コメントありがとうございます。
「綺麗な海が残っている所は手をつけないで欲しい」ということなので、第133回では「ミティゲーション」という用語をご紹介しました。
自然環境の再生がいかに難しいかということと、すでにこの概念は1970年代からあるとことに注目して下さい。
新田さん
貴重な御提言をありがとうございます。
2006年1月28日付けのコラム、第108回の「一村一品運動の本家本元」に書きましたが、”まちづくり”の概念は沖縄発なのです。
また、沖縄でも、”まちづくり”は結構あって、例えば、読谷村の紅芋、名護市の勝山や、東村の慶佐次などがあります。
「街づくりは住民が中心となって作っていくのが一番」というのは間違いありませんし、住民が中心となることが、責任ある関係者が、生き生きとして活動できる基盤でもあります。
今週土曜日の「ジャスコdeフォーラム」でもお話しますが、地域の抱えている課題や資源は異なりますので、いわゆる成功事例を真似ても上手く行きませんし、そもそも”成功事例”という定義が曖昧なのです。
住んで、暮らして、遊んで、学んで、育んで、終の棲家として”まち”を関わる人たちが、関心、意思決定への参画、責任にある行動、検証と微調整が必要ですし、関わる人たちには、行政も必要です。
Posted by 宮平栄治 at 2006年05月15日 11:06
ありがとうございます。
土曜日の「ジャスコDEフォーラム」楽しみにしてます。
土曜日の「ジャスコDEフォーラム」楽しみにしてます。
Posted by 新田 at 2006年05月16日 09:26