2011年06月13日
ブログの意外な効果
本日、6月13日(月曜日)、大学のメールボックスに手紙が届いていました。
名前を見てビックリ。
9年ほど前、起業家セミナーの講演で、講演の先生と一緒だった中央大学の元学生さんからでした。
その時は大学3年生で、その1年後に同名の友人と来沖し、牧志の公設市場で魚三昧の昼食を食べました。
卒業後、沖縄サミットの時は、某プロデューサーのアシスタントで来沖した時に那覇で会って以来の連絡でした。
何でも私のブログを見て筆を執ったとのことです。
さて、現在は芸能プロダクション関係の仕事に携わっているようで、文面からも忙しさが伝わっています。
担当が沖縄関係の芸能人ですから、来沖する機会もあるでしょう。
その時は、コザのまちで泡盛と旨い魚で学生時代の話で盛り上がりたいものです。
ブログの意外な効果でした。
名前を見てビックリ。
9年ほど前、起業家セミナーの講演で、講演の先生と一緒だった中央大学の元学生さんからでした。
その時は大学3年生で、その1年後に同名の友人と来沖し、牧志の公設市場で魚三昧の昼食を食べました。
卒業後、沖縄サミットの時は、某プロデューサーのアシスタントで来沖した時に那覇で会って以来の連絡でした。
何でも私のブログを見て筆を執ったとのことです。
さて、現在は芸能プロダクション関係の仕事に携わっているようで、文面からも忙しさが伝わっています。
担当が沖縄関係の芸能人ですから、来沖する機会もあるでしょう。
その時は、コザのまちで泡盛と旨い魚で学生時代の話で盛り上がりたいものです。
ブログの意外な効果でした。
2011年06月12日
中心市街地活性化と広域調整
昨日、6月11日(土曜日)は、沖縄市・コザボックスで、関東学院大学教授の横森豊雄(よこもり とよお)先生との勉強会でした。
勉強会の内容は「中心市街地セミナー--中心市街地活性化の今後の展望--」のテーマで横森先生の御講演の後、討論を行いました。
横森先生の御講演では、①中心市街地活性化の理由、②失敗理由、③イギリスにおける成功事例をデータからご説明頂きました。
中心市街地の活性化については、以下の3点を前提として説得する必要があると述べられています。
1. 中心市街地が空洞化しても中心市街地活性化の関係者以外(一般市民)は生活に何も困らないので簡易内と思っている。
2. 一般市民は「中心市街地活性化」=「商店街振興策」と見なし、なぜ商店街再生に税金を投じなければならないのかと思っている。
3. 一般市民は、中心市街地活性化は時代の流れに抗すると思っている。
① 「中心市街地=まちの顔」の衰退は時代の流れで仕方がない。
② 時代によってまちの顔の場所は変わる。
③ 過去の栄光を復活へは消極的である。
を前提に、必要性をデータや客観的な予測で読み解かなければ協力を得られないということです。
中心市街地を活性化させなければいけない理由は、
1. 全ての地域に都市機能を完備することは望ましくありません。例えば、住、くつろぐ、育むという機能が重視される住宅街に24時間機能しなければならない警察署、消防署、飲食街や社交街は無くてもよい機能です。
2. 少子化と高齢社会によって財政の悪化が懸念されています。
3. 郊外型住宅地の開発には、上下水道や道路整備など初期建設費にくわえ維持管理費が必要となり、経費が必要となり、少子化と高齢社会の到来によって、財政を圧迫します。
全国で100を超える中心市街地活性化の現状をデータで教えて頂きましたが、期待した成果をあげた地域は少数でした。
その理由を、イギリスでは市町村や都道府県の枠組みを超えた広域的な土地利用に基づいて整備が行われていますが、日本にはそれがありません。
そのため、ある地域の中心市街地活性化がどんなに素晴らしくても、その行政と隣り合う他の市町村の境に大規模店舗が建設されると、中心市街地活性化の効果が失われてしまいます。
沖縄県でも、特に米軍用地返還後の跡地利用については、私が知る限り、返還軍用地ごとの計画はありますが、都市間機能を考えた、いわゆる”横串”を刺した計画はありません。
沖縄もいずれは人口が減少します。
郊外型住宅地開発や郊外型大規模店舗誘致は見た目には素晴らしく見え、地権者、一般市民、政治家や行政も無批判に推進したがりますが、人口減少が始まっている日本の将来の財政負担を考えた場合、冷静に考える必要があることを今回の勉強会から再認識致しました。
勉強会の内容は「中心市街地セミナー--中心市街地活性化の今後の展望--」のテーマで横森先生の御講演の後、討論を行いました。
横森先生の御講演では、①中心市街地活性化の理由、②失敗理由、③イギリスにおける成功事例をデータからご説明頂きました。
中心市街地の活性化については、以下の3点を前提として説得する必要があると述べられています。
1. 中心市街地が空洞化しても中心市街地活性化の関係者以外(一般市民)は生活に何も困らないので簡易内と思っている。
2. 一般市民は「中心市街地活性化」=「商店街振興策」と見なし、なぜ商店街再生に税金を投じなければならないのかと思っている。
3. 一般市民は、中心市街地活性化は時代の流れに抗すると思っている。
① 「中心市街地=まちの顔」の衰退は時代の流れで仕方がない。
② 時代によってまちの顔の場所は変わる。
③ 過去の栄光を復活へは消極的である。
を前提に、必要性をデータや客観的な予測で読み解かなければ協力を得られないということです。
中心市街地を活性化させなければいけない理由は、
1. 全ての地域に都市機能を完備することは望ましくありません。例えば、住、くつろぐ、育むという機能が重視される住宅街に24時間機能しなければならない警察署、消防署、飲食街や社交街は無くてもよい機能です。
2. 少子化と高齢社会によって財政の悪化が懸念されています。
3. 郊外型住宅地の開発には、上下水道や道路整備など初期建設費にくわえ維持管理費が必要となり、経費が必要となり、少子化と高齢社会の到来によって、財政を圧迫します。
全国で100を超える中心市街地活性化の現状をデータで教えて頂きましたが、期待した成果をあげた地域は少数でした。
その理由を、イギリスでは市町村や都道府県の枠組みを超えた広域的な土地利用に基づいて整備が行われていますが、日本にはそれがありません。
そのため、ある地域の中心市街地活性化がどんなに素晴らしくても、その行政と隣り合う他の市町村の境に大規模店舗が建設されると、中心市街地活性化の効果が失われてしまいます。
沖縄県でも、特に米軍用地返還後の跡地利用については、私が知る限り、返還軍用地ごとの計画はありますが、都市間機能を考えた、いわゆる”横串”を刺した計画はありません。
沖縄もいずれは人口が減少します。
郊外型住宅地開発や郊外型大規模店舗誘致は見た目には素晴らしく見え、地権者、一般市民、政治家や行政も無批判に推進したがりますが、人口減少が始まっている日本の将来の財政負担を考えた場合、冷静に考える必要があることを今回の勉強会から再認識致しました。
2011年06月06日
まさかひゃ~その4
突然電話で「7月から使えなくなります」といわれ、面食らってしまいました。
地上デジタル放送ではありません。
携帯電話で、しかも来年の7月からです。
何でも電波の種類が変わり、現在使用している携帯電話機種では対応できないらしい。
そのため、機種の変更を促す電話。
ちょうど欲しい機種がありましたが、使用している人に尋ねるとバッテリーの容量の関係で、充電間隔が比較的短いとのこと。
私が「バッテリーの性能が向上したら買い換えます」と応答したところ、担当者が「常に向上しています」との回答。
何の事やら分からずよくよく尋ねたら、向上しているのはバッテリーではなく搭載されているアプリケーション・ソフトの話。
人の話を聞いていない担当者も担当者だが、デジタル放送への移行、携帯電話の電波の変更もユーザーとは無関係に決まった事。
もしかして、あえて制度を変更し、買い換え需要を生み出すための政策?などと疑いたくもなる。
そのような事情でないことは承知しているが、売らんかなの勧誘よりも、なぜ今諸制度を変える必要があるのかの周知徹底の方が、売上げ向上につながるのではないかと考えます。
地上デジタル放送ではありません。
携帯電話で、しかも来年の7月からです。
何でも電波の種類が変わり、現在使用している携帯電話機種では対応できないらしい。
そのため、機種の変更を促す電話。
ちょうど欲しい機種がありましたが、使用している人に尋ねるとバッテリーの容量の関係で、充電間隔が比較的短いとのこと。
私が「バッテリーの性能が向上したら買い換えます」と応答したところ、担当者が「常に向上しています」との回答。
何の事やら分からずよくよく尋ねたら、向上しているのはバッテリーではなく搭載されているアプリケーション・ソフトの話。
人の話を聞いていない担当者も担当者だが、デジタル放送への移行、携帯電話の電波の変更もユーザーとは無関係に決まった事。
もしかして、あえて制度を変更し、買い換え需要を生み出すための政策?などと疑いたくもなる。
そのような事情でないことは承知しているが、売らんかなの勧誘よりも、なぜ今諸制度を変える必要があるのかの周知徹底の方が、売上げ向上につながるのではないかと考えます。
2011年06月05日
時代を写す鏡
5月の中旬に久しぶりに中学校の同期生と歓談しました。
話題になったのが、中学校の修学旅行。
私たちの一つ上の期の旅行先が八重山でしたが、私たちからは九州を南北に縦断するというもの。
飛行機が贅沢な乗り物でしたので、行きも帰りも船旅でした。
さて、話題となったのがそのときのバスガイドさんの話でした。
あるクラスのバスガイドさんは、観光地の合間に和ませるためにの歌がいつも”軍歌”だったとか・・・。
ザ・ベスト・テン全盛期の私たち世代からは当然ブーイングの嵐。
途中で別のバスガイドさんに交代させられたという秘話が○○年ぶりに明らかとなりました。
修学旅行先、交通手段、そしてバスガイドさんの歌、その当時を象徴でしょうか。
どこかの国の政治も何年後かには、こんな事もあった、というように成長していればよいのですが。
話題になったのが、中学校の修学旅行。
私たちの一つ上の期の旅行先が八重山でしたが、私たちからは九州を南北に縦断するというもの。
飛行機が贅沢な乗り物でしたので、行きも帰りも船旅でした。
さて、話題となったのがそのときのバスガイドさんの話でした。
あるクラスのバスガイドさんは、観光地の合間に和ませるためにの歌がいつも”軍歌”だったとか・・・。
ザ・ベスト・テン全盛期の私たち世代からは当然ブーイングの嵐。
途中で別のバスガイドさんに交代させられたという秘話が○○年ぶりに明らかとなりました。
修学旅行先、交通手段、そしてバスガイドさんの歌、その当時を象徴でしょうか。
どこかの国の政治も何年後かには、こんな事もあった、というように成長していればよいのですが。
2011年05月21日
五月病
私が学生の頃、ゴールデンウィーク空け後のキャンパス、特に1年生には脱力感が漂っていると言われていました。
いわゆる”五月病”。
原因には諸説あるようです。
高校生という規則の多い環境から大学の自由な雰囲気への緊張感から解きほぐされたこと。
大いに期待して大学生活への失望。
などなど。
私が教えている学生を観察していると、どうもそのような五月病に罹患した学生がいないように感じます。
現役学生世代は、バブル経済崩壊後の厳しい日本経済が当然な社会環境にあったためか、努力してこの状況を乗り越えようという気概があります。
そのような未来からの贈り物である学生を有意な人材に育て上げられるかは、私たちの社会がよりよき社会になるかどうかの試金石になりそうです。
その責務の一翼を担っていることに改めて再認識している今日この頃で、そういう私は、当然、五月病には罹りません。
いわゆる”五月病”。
原因には諸説あるようです。
高校生という規則の多い環境から大学の自由な雰囲気への緊張感から解きほぐされたこと。
大いに期待して大学生活への失望。
などなど。
私が教えている学生を観察していると、どうもそのような五月病に罹患した学生がいないように感じます。
現役学生世代は、バブル経済崩壊後の厳しい日本経済が当然な社会環境にあったためか、努力してこの状況を乗り越えようという気概があります。
そのような未来からの贈り物である学生を有意な人材に育て上げられるかは、私たちの社会がよりよき社会になるかどうかの試金石になりそうです。
その責務の一翼を担っていることに改めて再認識している今日この頃で、そういう私は、当然、五月病には罹りません。
2011年05月16日
施政権返還=本土復帰39年雑感
5月15日は、1972年・昭和47年に行政権などの施政権が、米軍から日本政府へ返還、いわゆる本土復帰から39年目です。
当時はよく「核抜き本土並み」という言葉が踊っていました。
「核」は核爆弾、「本土並み」は米軍基地や経済など多くの格差を縮小して全国水準まで沖縄の低いモノは高めたり、高いモノは低めという意味でした。
復帰前には、復帰すると本土並みになるという期待があったように子供心にも感じていました。
テレビ報道で、平和行進団の参加された方々への一部へのインタビューでは、日本の米軍基地約75%が沖縄にあることへの不満等を語っていました。
米軍基地縮小に関しては未達課題です。
先の平和行進団参加者の一部へのインタビューでは、普天間基地の県内移設についても憤り等を語っていました。
「核抜き本土並み」と「普天間基地の県外・国外移設」に共通項は、期待が大きかっただけに未達、不条理や先が見えない理想への様々な感情が渦巻いていることです。
世の中は変化しています。
これらの問題も、状況次第で変わるでしょう。
どこで、どのように動けば、よりよい方向に進展するのかを考える機会にしましょう。
当時はよく「核抜き本土並み」という言葉が踊っていました。
「核」は核爆弾、「本土並み」は米軍基地や経済など多くの格差を縮小して全国水準まで沖縄の低いモノは高めたり、高いモノは低めという意味でした。
復帰前には、復帰すると本土並みになるという期待があったように子供心にも感じていました。
テレビ報道で、平和行進団の参加された方々への一部へのインタビューでは、日本の米軍基地約75%が沖縄にあることへの不満等を語っていました。
米軍基地縮小に関しては未達課題です。
先の平和行進団参加者の一部へのインタビューでは、普天間基地の県内移設についても憤り等を語っていました。
「核抜き本土並み」と「普天間基地の県外・国外移設」に共通項は、期待が大きかっただけに未達、不条理や先が見えない理想への様々な感情が渦巻いていることです。
世の中は変化しています。
これらの問題も、状況次第で変わるでしょう。
どこで、どのように動けば、よりよい方向に進展するのかを考える機会にしましょう。
2011年05月14日
まさかひゃ~その3
5月11日(水曜日)に九州付近にあった梅雨前線が南下し、沖縄本島をお昼頃通過しました。
私の勤務先に周辺は、お昼前後から激しい雷雨となりました。
この雷雨で、ランチミーティング中に停電が起きてしまいました。
その結果は・・・
勤務先のメールサーバーが破壊されてしまいました。
そのため、メールのやりとりができず情報無人島の住人です。
メールをお出しした皆さん、メールでの連絡ができずに本当に申し訳ございません。
さて、勤務先の担当者が懸命の復旧作業にあたり、先ほど復旧しましたが・・・
これまでのメールアドレスやメールが全部消えてしまっていました。
まさかひゃ~
複数のアドレスに保存する必要性を痛感しました。
私の勤務先に周辺は、お昼前後から激しい雷雨となりました。
この雷雨で、ランチミーティング中に停電が起きてしまいました。
その結果は・・・
勤務先のメールサーバーが破壊されてしまいました。
そのため、メールのやりとりができず情報無人島の住人です。
メールをお出しした皆さん、メールでの連絡ができずに本当に申し訳ございません。
さて、勤務先の担当者が懸命の復旧作業にあたり、先ほど復旧しましたが・・・
これまでのメールアドレスやメールが全部消えてしまっていました。
まさかひゃ~
複数のアドレスに保存する必要性を痛感しました。
2011年05月14日
まさかひゃ~その2
ゴールデンウィーク中にプロバイダーから2件電話がありました。
電話の内容は「私の家のネット環境がが光になったので光にしませんか」という事です。
この地域は既に3年前に光回線に変わっているのですがネ。
某通信会社とプロバイダーとの意思疎通が行われていないようです。
光回線といえば、今日、5月14日(土曜日)の『日本経済新聞』の朝刊に、光回線と同じ通信速度と持つ無線LANを普及されるとか・・・
無線の通信速度が遅いため光に代えたのに・・・
まさかひゃ~でした。
電話の内容は「私の家のネット環境がが光になったので光にしませんか」という事です。
この地域は既に3年前に光回線に変わっているのですがネ。
某通信会社とプロバイダーとの意思疎通が行われていないようです。
光回線といえば、今日、5月14日(土曜日)の『日本経済新聞』の朝刊に、光回線と同じ通信速度と持つ無線LANを普及されるとか・・・
無線の通信速度が遅いため光に代えたのに・・・
まさかひゃ~でした。
2011年03月03日
まさかひゃ~
超~久しぶりのアップです。
その間、何をしていたのかについては後日、ゆっくりと更新致します。
さて、本学の就業力アップと人材育成プログラムで東京へ3月1日に行き、昨日戻って来ました。
宿泊先は、有名ホテル
ところがインターネットがなんと有料、しかも千円・・・
その前の週は本学の2次試験(京都大学では入試問題が漏洩して何かと騒がしいのですが)の東京会場で宿泊した、これまたウルトラ級のひどいビジネスホテルでも接続は無料だったので、千円を支払ってまで利用するのも嫌なので接続画面を開いたところでやめました。
ところが、そのホテルのプロキシーがとんでもない悪戯をしでかすのです。
空港でインターネットを接続してもエクスポーラーは、あのホテルのネットへ接続しようとしてたちまち私のPCは自動的に接続中断。
私のPC知識はそれほどでもないので、本学の専門家に頼んでようやく部分的に復旧したところです。
なぜ、部分的かといえば、まだあのホテルのプロキシーがCドライブのどこかに潜んでいるらしく、エクスポーラーはまだまだ順調ではないです。
いつか追い出してやると寒空に叫ぶ私でした。
その間、何をしていたのかについては後日、ゆっくりと更新致します。
さて、本学の就業力アップと人材育成プログラムで東京へ3月1日に行き、昨日戻って来ました。
宿泊先は、有名ホテル
ところがインターネットがなんと有料、しかも千円・・・
その前の週は本学の2次試験(京都大学では入試問題が漏洩して何かと騒がしいのですが)の東京会場で宿泊した、これまたウルトラ級のひどいビジネスホテルでも接続は無料だったので、千円を支払ってまで利用するのも嫌なので接続画面を開いたところでやめました。
ところが、そのホテルのプロキシーがとんでもない悪戯をしでかすのです。
空港でインターネットを接続してもエクスポーラーは、あのホテルのネットへ接続しようとしてたちまち私のPCは自動的に接続中断。
私のPC知識はそれほどでもないので、本学の専門家に頼んでようやく部分的に復旧したところです。
なぜ、部分的かといえば、まだあのホテルのプロキシーがCドライブのどこかに潜んでいるらしく、エクスポーラーはまだまだ順調ではないです。
いつか追い出してやると寒空に叫ぶ私でした。