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Posted by TI-DA at

2005年08月30日

第55回第4回「速報:九州地区高等学校生徒商業研究発表大会」

本日8月30日火曜日、鹿児島で第4回九州地区高等学校生徒商業研究発表大会が開催され、私も参観しました。

この大会は、九州8県で行われた県大会を勝ち抜いた高校の生徒さんが、日頃学んでいる商業科目から、特に興味を抱いたテーマについて研究し、その成果を発表し、内容を産業界・教育界からなる審査委員が審査する大会です。

そして、本大会で入賞した上位2校は、11月26日(土)と27日(日)に東京で開催される全国大会への出場が決まります。

各県の代表校名とタイトルは、

福 岡 県 福岡県立朝倉東高等学校 「知的財産研究―私たちが築く知財社会―」
佐 賀 県 佐賀県立鳥栖商業高等学校 「鳥栖商省エネプロジェクト―商業高校生としの視点から―」
長 崎 県 長崎県立諫早商業高等学校 「若者によるまちづくり―のんのこネクタイ開発物語―」
大 分 県 大分県立大分商業高等学校 「士魂商才:大商マーケット G・N―4年目の活動と新たなるチャレンジ―」
熊 本 県 熊本県立北稜高等学校 「いざしょうぶ若蔵――私たちがつくる未来」
宮 崎 県 宮崎県立日南振徳商業高等学校 「飛翔―全国へはばたけ振徳堂―」
鹿児島県 出水市立出水商業高等学校 「Happy Clover―出水市活性化プロジェクト―」
鹿児島県 指宿市立指宿商業高等学校 「指商デパートが倒産の危機!?:目指せ 経営大再建―道の駅 Joint Management―」
沖 縄 県 沖縄県立南部商業高等学校 「新たなビジネスへの挑戦―For teens By teens―」
(鹿児島県は、開催県のため2校出場です。)

以上の様なテーマで各校12分の持ち時間で、それぞれのテーマの研究内容を分かりやすく発表することに注意し、企業における新商品や戦略会議、あるいは、資金調達のための自社PRのようなレベルの高いプレゼンテーションが展開されました。

沖縄県立南部商業高等学校のプレゼンテーションは、沖縄のお土産品案内には高校生向けのパンフレットがないことに気付き、パンフレット作成までの過程を発表しました。

パンフレットを作成する際、地元に人に愛されている商品が観光客にはお勧め商品であるという仮説のもと、那覇近郊の高校生にアンケートを実施し、ターゲット点を絞り込み、趣意書、名刺と見本を作成、パンフレット掲載依頼と広告料徴収という営業活動を行い、パンフレットを作成。出来たパンフレットを実際に修学旅行生へ配布し、その結果を検証・分析、今後の課題点を探るという内容です。

結果は、南部商業高等学校は、最優秀商は逃したものの優秀校という栄誉に輝きました。この結果に一生懸命やり最優秀の手応えあったのでしょう。落涙する生徒さんもいれば、スガスガしい顔の生徒さんもいましたが、参加した生徒さんは一段とたくましくなったような印象を受けました。

各代表校とも昨年度よりのレベルアップしたため、上位校は非常に僅差で、最優秀校の長崎県立諫早商業高等学校と南部商業高等学校とは、わずか5点差でした惜しい。

この成果は、土日や祝祭術を利用しアンケートやプレゼンテーションの準備を行った南部商業高等学校の7名の生徒さん、富田優希さん、城間美千子さん、根布谷早紀さん、新垣みなみさん、喜名梓さん、神谷夏子さん、荻島杏里さん、指導した仲宗根一成先生と宮城仁先生、そして、8月25日(木)に産業振興公社内で実施した壮行プレゼンテーションを実施して頂いた、沖縄ベンチャースタジオのスタッフやコメント頂いた参加企業の皆様のおかげです。

来年度は沖縄県で九州地区高等学校生徒商業研究発表大会が開催されます。次回は、優勝をねらえるレベルまで沖縄県の生徒さんのプレゼンテーション能力も向上しています。楽しみです。

大会終了後、生徒さん達は鹿児島名物かき氷ぜんざい“白熊君”を堪能するため、天文館へ出掛けました。さすが、現代っ子。  


Posted by 宮平栄治 at 17:15Comments(0)沖縄経済学

2005年08月26日

第54回-「六諭衍義」の現代的解釈-

今週も先週に引き続き、「六諭衍義」が日本の繁栄にもたらした影響について考えてみましょう。

今回もなぜ、「六諭衍義」を取り上げる理由を説明しますと、第一は、沖縄ベンチャースタジオの面々による福州の琉球人墓墓参とのコラボ(詳細は、島田勝也さんのブログFLOSSAさんのブログをご参照下さい)。

第二は、制度経済学からの視点です。地域経済が経済理論の示す様な経済成長パターンを描かない理由として、ある規制が決定されると企業や個人はその規制に適応してしまうという「経済の経路依存性」、宗教、文化やモラールを含めた制度と経済成果の相互作用への不完全な理解、インフォーマルな制度という3つの原因があると制度経済学では説明されています。

つまり、制度経済学によって明治維新以降からの日本の経済発展を解釈すると、江戸時代から明治にかけて日本経済は、経路依存性がなく、制度と経済成果の相互作用が理解され、インフォーマルな制度がなかったということになります。

私は、上記の中でも特に、職業観や倫理観などのモラールが果たした役割を、そして、モラールの基盤となった庶民教育における「六諭衍義」の意義を特に強調したいと思います。

さて、「六諭衍義」は孝順父母、尊敬長上、和睦郷里、教訓子孫、各安生理、毋作非為から成り立ちますが、その各々についての意味を、名護市教育委員会・六諭衍義編集会議編「六諭のこころ―市民のための六諭衍義―」(2003年10月)から引用させて頂き、私見を述べたいと思います。

「孝順父母(ふぼこうじゅんなれ)」とは「いたわりあう親子関係を築くこころ」。

「尊敬長上(ちょうじょうをそんけいせよ)」とは「互いの良さを尊敬しあうこころ」。

「和睦郷里(きょうりはわぼくせよ)」とは「ふるさとの自然や人を愛しなかよく助け合うこころ」。

「教訓子孫(しそんをきょういくせよ)」とは「教育を大切にするこころ」。

「各安生理(おのおのせいりにやすんぜよ)」とは「自分のやるべきことを成し遂げるこころ」。

「毋作非為(ひいをなすなかれ)」とは「善いおこないをするこころ」

という意味です。

さて、「六諭衍義」を現代風に解釈してみましょう。

先ず「孝順父母」とは家族法と解釈できるでしょう。「尊敬長上」はお互いの長所を認め合い、短所を補い合ってシナジー効果を高める組織論と見なすことができます。

「和睦郷里」は地域資源を認識し、地域社会貢献を勧める地域経営学へと焼き直せます。「教訓子孫」とは、文字通り教育学や教育による社会の安定を意味しています。

「各安生理」とは、一人一人が責任を果たすという民法の基本原理を述べています。「毋作非為」とは、責任を果たすばかりでなく、公共の福祉が高まるように知識や能力を発揮するよう説いています。

このように解釈すると、現代の私たちが、私有財産性、合理性と基本的人権の尊重を基本とする現代社会生活を営む上での社会規範がすでに「六諭衍義」の中に盛り込まれていることになります。

ということは、1719年に島津吉貴公より第8代将軍徳川吉宗に献上され、その後、日本中に人々の共通の社会的規範として「六諭衍義」が培われていたならば、鎖国と開国という外交制度の違いはありますが、明治維新以降の日本の経済発展は、驚くべき事柄ではないことが分かります。

このように解釈しますと、沖縄の偉人、程順則=名護親方の我が国に与えた業績がいかに偉大であったか、と同時に、再評価する必要があると思いますが、読者の皆さんはどのような感想をもたれたでしょうか。  


Posted by 宮平栄治 at 09:05Comments(4)沖縄経済学

2005年08月19日

第53回「新渡戸稲造は武士道といったけれども」

―日本の近代化を支えた程順則・名護親方―
今回は、8月13日(土)から3泊4日で中国・福州の琉球人墓などの訪問に旅立った島田勝也さんのブログとのコラボレーションです。私は沖縄経済学会の総会と重なっていたため、参加できませんでした(;;)。

さて、私が大学生の頃、現・琉球大学副学長の嘉数啓先生の外国書購読を受講しました。その時の本が、W・W・ロックウッド箸「日本経済近代化の百年-国家と企業を中心に-」の英語版と記憶しています(ちなみに、成績は、多分、"優"だったと記憶しています…)。

著書の内容は、日本の明治以降の近代化は、明治政府の施政もさることながら、近代化の基礎は既に江戸時代に培われていたというを、法律、貨幣、度量衡、市場、為替、教育などの数値をあげて説明がなされていました。中学校や高等学校の教科書では、江戸時代は、近代とは無縁の世界と教え込まれていた私には、非常に新鮮な内容でした。

さて、近代化とは、原材料の加工・変形という生産から消費者の手に商品やサービスが提供される価値創造システムを支える社会構造をいいます。具体的には、流通、度量衡、通貨、為替、市場、法律や職業観をも含めた制度が完備されていること、また、これらの制度を伝える文字の存在、個々の事業所が役割によって階層化されていること、ルーティンワークのマニュアル可、さらには、識字率の高さなどが挙げられます。

日本の近代化というと、新渡戸稲造が著書の「武士道」において、武士道が日本の近代化を支えたと主張されています。最近でも、奥田硯氏と山下泰裕氏による「武士道ともに生きる―グローバル社会の今こそ、武士道に学ぼう―」(角川書店)が出版されています。

前段が長くなってしまって申しわけございませんが、この主張に対して、今回は異なる角度から考えてみましょう。  続きを読む


Posted by 宮平栄治 at 09:00Comments(5)沖縄経済学

2005年08月12日

第52回「乙女心をくすぐる“かりゆしウェア”」

“かりゆしウェア”再考から“かりゆしウェア”最高への商品コンセプト

皆さん、お元気でしょうか?私は、研究室のクーラーが壊れてしまい、昼間の暑い中、クーラーなしで、汗をカキカキ、今回のコラムを書いています。今回は、“かりゆしウェア”の再考をお送り致します。

さて、以前、“かりゆしウェアは、カジュアル・ウェアか、それともビジネス・ウェア”というテーマでコラムを書きましたが、本日は、その第2弾です。

産業支援センター内の雇用開発推進機構で本年度の『雇用白書』の執筆者会議があり、雑談中に、“かりゆしウェア”の話題となりました。その際、ある女性スタッフのAさんが、「“かりゆしウェア”を着ると、5才くらい年長者にみられるのよネ」と発言。私は即座に今回の話題にすることにしたのです。

女性の立場からすると、「少しでも若い服」や「少しでもスマートに見える服」を買い求める傾向があると思います。今の“かりゆしウェア”のコンセプトには、オキナワらしさを強調していますが、“少しでも若く”、“少しでもスマートに”、“少しでもセレブに”という微妙な乙女心をくすぐるコンセプトが希薄かな、という印象があります。

成熟化社会において、人々は消費者から生活者、生活者から自己実現を求める“人間”へと意識を変化させ、その変化に伴い、消費も、単に欲求を満たす単一目的から、欲求充足+“少しでも若く”、“少しでもスマートに”、“少しでもセレブに”という複合目的へと変化するといわれています。

“かりゆしウェア”も、クールビズを契機にオキナワらしさに加え、その他の複合目的を加味したデザイン・コンセプトで来年は望んでみてはいかがでしょうか。“かりゆしウェア”を着る人が大勢いて、街の彩りがさらに華やぐようなそんな光景を思い浮かべて。この「“かりゆしウェア”再考」というタイトルが、「“かりゆしウェア”最高」というタイトルへ変化することを確信して。  


Posted by 宮平栄治 at 15:18Comments(3)沖縄経済学

2005年08月05日

第51回「えッ、そんなのアリ!」

今日のコラムは、ちょっと信じられないお話を三編お話いたします。皆さんの周りでもこんなことはありませんか。

その壱

ある、会議終了後、東京からオキナワ病の友人、Hさんと泡盛を飲むことになり、宿泊先の那覇市内の某老舗ホテルのフロントに電話しましたが、私の携帯電話の電気的な乾いた呼び出し音が空しく耳元で響くだけでなかなか担当者がでません。そこで、電話帳にあったもう一つの電話番号へ。つながりました。担当者に友人の名前をつげ、部屋へ取り次いでくれるようお願いすると、申し訳なさそうに「済みません、この電話から他の部署へ転送できないんです。」「えッ~っ!」と私は絶句してしまいました。「今時、転送できない電話設備を使って、お客様をお迎えできるなぁ」と疑問に感じました。

仕方がないので、再度、フロントへ電話し、対応した担当者の方に友人の部屋への取り次ぎをお願いすると、友人が電話に出ないとのこと。そこで、ホテルに戻っているかを確かめてもらったら、「まだ、戻っていらっしゃいません」と回答がありました。「これが東京のホテルなら、最初にホテルに居るかどうかを確認するのになぁ」と考えてしまいました。

その弐

さて、ある自治会で自治会長(いわゆる区長さん)の交代があり、引き継ぎが行われたそうです。その際、会計帳簿を見てびっくり。支出はされているのですが領収書がありません。また、業務日誌もありません。その年度の監査人は、“しっかり”と監査したそうです。

この自治会では、自治会の住民から集められたいわゆる区費が何に用いられたかは、領収書がないので分からないそうです。信じられないことに、領収書がなくても、支出を認める方向で調整中とのことです。

この杜撰さの背景には、この自治会は古い集落のため、長年、馴れ合いで自治会長を決めていたそうで、また、その問題点を指摘すると集落内で波風が立つのを住民が嫌がったと考えられますが、それにしても呆れますね。

その参

また、ある団体の監査を行った人が、帳簿を見て、帳簿の数字がエンピツで記載されていたそうです。その団体の最高意思決定機関である運営委員会へ出席できないため、もし、監査に関して質問があった場合、「監査委員として、帳簿はエンピツではなく、黒か青のペンかボールペンで記入すること」という指摘事項を伝えるようにお願いしたそうです。

結局、運営委員会では監査に関する質問はなかったそうですが、この団体の財務担当者は、監査員のこの行為に激怒したとか。「オイオイ、逆でしょう」と言いたくなります。この担当者は、監査を受ける理由が理解していないようですね。そのような人を財務担当者に任命した役員にも問題があります。

いわゆる、副業的・内職的家族経営→生業的家族経営→家族的経営から利潤・株価最大化、経営者の夢を実現するための効用最大化、従業員の生活を最大化、そして共同利益最大化を目的とした本来企業へ発展するには、丼勘定ではなく、利潤と配当金、賃金および役員報酬は明確に分離された会計基準が必要です。そうしないと、技術革新のための社内留保もままなりません。

どうも、組織や社会集団には課題や問題点が多いようで、このコラム等を利用しながら、“えッ”という呆れた話の数を減らし、“なるほど”“素晴らしい”を増やせたらと考えています。その前に、我が身を省みなくては…。  


Posted by 宮平栄治 at 09:15Comments(0)沖縄経済学