2004年09月10日

第6回:羽地米復活のカギ

 9月2日に、”羽地米”が復活したという事で、沖縄県農業試験場名護支場で行 われた試食会へ出かけてきました。かつての沖縄のお米所、羽地から水田、あるい は、北部の棚田が見あたらなくなったのは、都市への人口流出に加え、1962年 のキューバ危機に端を発した砂糖価格の高騰によって、米からサトウキビへと転作 によるものです。

 復活された”羽地米”は「台中65号」という品種で、昭和5年に台湾から沖縄 へ導入され、昭和9年に沖縄県の奨励品種となり、以後、昭和49年に沖縄県の奨 励品種が「トヨニシキ」へ変更されるまでの40年間にわたって沖縄県の水田で栽 培されていました。

 農業試験場の担当者の話によれば、「台中65号」は、現在、沖縄県で広く作付 けされている「ひとめぼれ」に比べると、栽培日数では10日ほど生育が遅く、台 風などの被害に遭う確率が高く、10a(アール:100平方メートル)当たりの収 量が少なく、また、稲穂から稲が落ちる量も多いそうです。

 戦前世代やベビーブーマー世代が幼い頃は、”羽地米”=「台中65号」は、病 気や、盆・暮れにしか口にすることが出来なかったご馳走でした。この世代の多く が現役を引退し、そろそろ懐かしさを楽しむ人も多く、”羽地米”=「台中65号」 は、品種改良された現代のお米にはない、味覚・食感があります。また、この年齢 層は、人口規模も大きく、加えて、退職金や年金などで購買力もある層です。高度 経済成長時代の昭和の商店街が人気を博しているように”懐かし消費”の”羽地米” =「台中65号」の復活には追い風でしょう。

 戦前世代やベビーブーマー世代への売り込みには、別の工夫が必要でしょう。例 えば、レア性。時間差のコラムでもお話したように、沖縄では日本のどこよりも早 く新米を頂けます。組織において新米は仕事のこなれていないため、何かと手のか かる存在ですが、お米の味に関しては”新米”に限るわけです。例えば、日本で一 番旨いとされている新潟県魚沼産天日干しの”コシヒカリ”の脱穀し、一年貯蔵し た古米は味覚テストでは新米には勝りません。わざわざ県外から高価な新米を購入 するのではなく、先ずは沖縄県民がこぞって県産の新米を購入する姿勢も必要でし ょう。

 江戸時代の”初鰹”、現代のボージョレヌーボーと同じ感覚で、沖縄県産の”新 米”をいち早く味わい、秋の訪れを知るというのも風流だとは思いませんか。


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Posted by 宮平栄治 at 00:00│Comments(0)沖縄経済学
 
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