2005年09月26日

第70回「ビジネスの役割と学びの領域」

第4回九州地区高等学校生徒商業研究発表大会の前夜、優勝した諫早商業高等学校のH先生と宿泊先のビアガーデンで「飲みニケーション」を行っていました。

H先生は、「最近、商業高校の評価が低いのが気がかり。やはり、江戸時代の“士農工商”が影響しているのでしょうか?」と尋ねてきました。

沖縄に戻り、コザの街を活性化させるべく、中の町へ繰り出しました。とある店でコザ高校の先輩のK医師と遭遇。K医師曰く「世の中が豊かになるのは理系の発明があってであり、社会科学や人文科学は一体どのように役立っているのかい」。また県立芸大のT先生からも同様のご発言。

K医師やT先生の発言は、H先生の呟きの別表現で本質は同じです。なぜ他の科学が必要なのかは後日、お話しするとして、この状況に私はどのように応えたかというと、K医師は酩酊状態でしたので聞き役に徹し、その話題については触れませんでした。また、T先生に対してはお年もお年でしたの「そうですか」ですませました。

H先生に対しては、まず、農業や工業が発展しても商業やビジネスが成熟化しなければ、人々の生活は潤わないということを江戸時代に飢饉を例に説明致しました。つまり、ビジネスに誇りをということです。

江戸時代は、「やませ」が吹くとたびたび飢饉に見舞われました。ところが、飢餓に苦しんだのは太平洋側で、フェーン現象によって日本海側では米が豊作だったという可能性があります(詳細はhttp://www.reigai.affrc.go.jp/zusetsu/kisyo/yamase.htmlを参照)。

歴史に「もし」は許されないかもしれませんが、もし、幕藩体制という社会体制が無かったならば、あるいは、流通網が確立していれば餓死者数は記録よりも少なかったことが予想されます。

また、ジョエル・パーカー著 仁平和夫訳『パラダイムの魔力』(日経BP出版センター 1995年4月)pp.95-96に掲載されたエピソードからビジネスの重要性を考えてみましょう。

「蓄音機に、商業的価値はまったくない」(トーマス・エジソン、1880年、自分の発明品について、助手のサム・インスルに語った言葉)

「個人が家庭にコンピューターを持つ理由など見当たらない」(ケン・オルセン(ディジタル・イクイップメント社長)、1977年に語った言葉)

これらの例は、K医師が述べているように理系の発明だけが私たちの暮らしを豊かにしているわけではないことを述べています。

もう少し、くどく説明しますと、ビジネスにはさまざまな機能がありますが、特に、生産者と消費者の間にある商品知識の差を意味する「情報の非対称性」をビジネスによって橋渡しという非常に重要な役割を担っています。

商業高校の教科書では、この橋渡しを「懸隔」という言葉で説明しています。懸隔には、(1)場所の懸隔、(2)時間の懸隔、(3)認識の懸隔、(4)価値の懸隔、(5)所有権の懸隔、および(6)品揃えの懸隔と分類されています。

場所の懸隔とは、ある製品はある地域で生産され、全国各地で消費されることを意味します。

時間の懸隔とは、秋物衣料は夏期に生産され、秋期に着用されることを述べています。

認識の懸隔とは、商品の品質について生産者は正しく評価できますが、消費者は十分に評価できないので、流通業者が消費者に代わり厳しく吟味し、販売されることです。

所有権の懸隔とは、一方で商品の販売を希望する者がおり、他方で商品の購入を希望する者がいますが、双方ともその存在、量、価格、デザインが分からないため、売買できない状態をビジネスの力で交渉を成立させますことをいいます。

価値の懸隔とは、産地では大量に生産されるため価格が安いのですが、消費地では高価となり、価格差を利用して流通させることです。

品揃えの懸隔とは、各生産者が少数の商品を生産していませんが、店頭には多くの種類の商品があり、気に入った商品を購入できる状態です。

いずれも、ビジネスによる恩恵です。人々が個性化し、消費が多様化すればするほど、生産体制が精緻になればなるほど、多くの懸隔が発生します。そして、この懸隔に橋渡しをするのがビジネス、特に、ベンチャービジネスといえるでしょう。

となると、ベンチャービジネスとは、人間を学び、技術を学ぶ領域だといえるでしょう。


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Posted by 宮平栄治 at 11:12│Comments(0)沖縄経済学
 
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